ラッドが死んでからひと月が過ぎました。
ラッドの死後、
家族の誰もがラッドの名を口にしない。
わざと言わないようにしています。
動物を扱うテレビ番組も観なくなりました。
犬を連れて散歩をしている人は、
視界に入れないようにしています。
ラブラドールの場合は、
尚更です。
ブブとシオンがいるので、
ペット用品を買いには出掛けます。
でも、キャットコーナーだけで、
ドッグコーナーへは行かない。
いつまでも引きずっているのは良くないと思うのですが、
私たち家族には、もう少しだけ時間が必要です。
ラッドには、
本当に感謝の思いで一杯です。
そう思えば思うほど、出来なかった事や、
してあげればよかったと思う事ばかり浮かんで・・・
自責の念にとらわれてしまうのです。
15年間。
我が家の長男だと思って、
辛いときも楽しいときも共に生きてきたから・・・
本当に、寂しいし辛い。
くよくよしてても仕方がないことは
百も承知なんだけど・・・
思い出す度に、
やっぱり辛くて。
きっと、まだまだ時間は掛かると思います。
でも、無理に忘れることは出来ないから、
在りし日のラッドの事を家族で話してみます。
まだまだ時間は掛かるだろうけど、
ラッドにしてあげられなかったこと。
ラッドにもらったたくさんの幸せな気持ちを、
他の仔たちに向けられるように。
家族みんなで一歩踏み出すために、
話してみます。
ラッドとのたくさんの
楽しかった思い出を。
2009年06月30日
2009年06月29日
分かってたんだ
このところ、
本当に色々なことが起こる。
「忙しい」というだけでは片付けられない。
何やってるんだろう?
考え込んでしまうことも多い。
どうして、
こんなことになっちゃうんだろう・・・
本当に、自分でもバカだなって思う。
でもすべては、
自分が望んだことだ。
軸を戻さなきゃ、
ぶれた軸を元に戻さなきゃ。
色々なことが起き過ぎるのは、
自分が軸をぶらしているだけなんだから。
まったく・・・
気付くのが、遅いっつうの。
本当に色々なことが起こる。
「忙しい」というだけでは片付けられない。
何やってるんだろう?
考え込んでしまうことも多い。
どうして、
こんなことになっちゃうんだろう・・・
本当に、自分でもバカだなって思う。
でもすべては、
自分が望んだことだ。
軸を戻さなきゃ、
ぶれた軸を元に戻さなきゃ。
色々なことが起き過ぎるのは、
自分が軸をぶらしているだけなんだから。
まったく・・・
気付くのが、遅いっつうの。
2009年06月26日
ある日突然に
おふくろが交差点で転び、頭と腰を強打した。
妹から連絡が入ったのが、今月の3日。
翌日、背骨を骨折していたことが判明し、
即日入院することになった。
医師は、手術はせずに
コルセットで固め治癒を待つことを選択した。
しかし、71歳という高齢もあり、
3週間が過ぎた現在もおふくろは動けないままでいる。
幸い妹がそばにいるので、
毎日のように見舞ってくれている。
本来であれば、長男の自分が面倒をみなければならないのに、
妹には本当に感謝をしています。
偶然というか丁度というか、
この3週間、介護に係わる取材をしていた。
「介護はある日突然に・・・」
他人ごとではないです。
本当にそう思ったし、
考えさせられました。
妹から連絡が入ったのが、今月の3日。
翌日、背骨を骨折していたことが判明し、
即日入院することになった。
医師は、手術はせずに
コルセットで固め治癒を待つことを選択した。
しかし、71歳という高齢もあり、
3週間が過ぎた現在もおふくろは動けないままでいる。
幸い妹がそばにいるので、
毎日のように見舞ってくれている。
本来であれば、長男の自分が面倒をみなければならないのに、
妹には本当に感謝をしています。
偶然というか丁度というか、
この3週間、介護に係わる取材をしていた。
「介護はある日突然に・・・」
他人ごとではないです。
本当にそう思ったし、
考えさせられました。
2009年06月17日
幻の定額給付金
我が家には定額給付金が、
64,000円支払われました。
大人12,000×2
小人20,000×2
「洗濯機を買い換えるからね!」
家内は誰の意見も聞かず、
一人でそう決めていた。
昨夜のことです。
三者面談が行われたゆうすけの塾から帰宅すると、
家内は大きなため息をつき呟いた。
「あ〜、洗濯機が・・・
せっかくの給付金が・・・
・・・125円しか残らない」
ゆうすけは、毎週月、木の二時間半、
塾に通い数学と英語を補習している。
学校での成績が悪いので、
仕方なく数学と英語を補習しているらしい。
これだけで、
毎月4万円ほどを塾に支払っている。
昨夜の三者面談は、
現状を見極め夏期講習の予定をたてる為の面談でした。
内容は惨憺たるものらしく、
数学、英語とも6回ずつの追加補習を行うこととなったそうです。
その合計金額が、
63,875円だったそうだ。
定額給付金 64,000円
追加補習 −63,875円
残金 125円
なんじゃそら!?
成績の上がらない
ゆうすけもどうかと思うが・・・
塾を併用しなければ、
受験もままならないという学校の現状はいかがなものか?
今後(高校進学後)も同様のことが起きるのであれば、
教育システムの根本が間違っていると思うのですが・・・
教育に掛かる費用がかさむと少子化は改善されないだろうし、
負のスパイラルから逃れられることは出来ないでしょう。
本当に何とかならないものでしょうか?
選挙のときだけマニフェストや公約を掲げても、
実行してもらわなければ何にもならないんですけど・・・
自民のままもどうかと思うが、
民主もねえ・・・
テレビでも、巷でも、
あきらめムードばかりが漂う現実。
それでも毎日の生活は続きます。
本当、お願いしますよ!
64,000円支払われました。
大人12,000×2
小人20,000×2
「洗濯機を買い換えるからね!」
家内は誰の意見も聞かず、
一人でそう決めていた。
昨夜のことです。
三者面談が行われたゆうすけの塾から帰宅すると、
家内は大きなため息をつき呟いた。
「あ〜、洗濯機が・・・
せっかくの給付金が・・・
・・・125円しか残らない」
ゆうすけは、毎週月、木の二時間半、
塾に通い数学と英語を補習している。
学校での成績が悪いので、
仕方なく数学と英語を補習しているらしい。
これだけで、
毎月4万円ほどを塾に支払っている。
昨夜の三者面談は、
現状を見極め夏期講習の予定をたてる為の面談でした。
内容は惨憺たるものらしく、
数学、英語とも6回ずつの追加補習を行うこととなったそうです。
その合計金額が、
63,875円だったそうだ。
定額給付金 64,000円
追加補習 −63,875円
残金 125円
なんじゃそら!?
成績の上がらない
ゆうすけもどうかと思うが・・・
塾を併用しなければ、
受験もままならないという学校の現状はいかがなものか?
今後(高校進学後)も同様のことが起きるのであれば、
教育システムの根本が間違っていると思うのですが・・・
教育に掛かる費用がかさむと少子化は改善されないだろうし、
負のスパイラルから逃れられることは出来ないでしょう。
本当に何とかならないものでしょうか?
選挙のときだけマニフェストや公約を掲げても、
実行してもらわなければ何にもならないんですけど・・・
自民のままもどうかと思うが、
民主もねえ・・・
テレビでも、巷でも、
あきらめムードばかりが漂う現実。
それでも毎日の生活は続きます。
本当、お願いしますよ!
2009年06月14日
三沢が、死んだ。
朝刊を見て絶句した。
うそだろ!?
三沢が、死んだなんて・・・
マット上で大の字となった三沢がピクリとも動かない。
2300人、満員の観衆による「ミサワコール」にも
三沢は二度と立ち上がることはできなかった。
日本のプロレス界を代表するプロレスラー・三沢光晴が、
帰らぬ人となる痛ましいリング事故が起きました。
13日に広島で行われた「ノア」広島大会の試合中に頭部を強打し、
心肺停止に陥り市内病院の集中治療室に搬送されたが病院で亡くなったのです。
死因は不明。
6月18日、47歳の誕生日を目前にしての悲劇でした。
ジャイアント馬場が大腸がんに倒れ、アントニオ猪木が引退。
その後の日本マット界をけん引したエースが、衝撃の“殉職”となってしまった。
「プロレスの教科書」とも評されるほどレスリングの基本に忠実で
「受け身の天才」とも言われてきた。
死因は不明だが、
基本ともいわれるプロレス技で受け身に失敗したとも思えない。
「お客さんもザワザワするぐらい変だった。(最初から)三沢らしからぬ
精彩を欠いた動きだった」と関係者は試合時の様子を話している。
レスラー歴28年の三沢光晴はレスリングの名門足利工大付高出身で、
3年時に世界ジュニア選手権に出場、国体で優勝。
81年3月に故・ジャイアント馬場の全日本プロレスに入門し
同年8月21日にデビュー。
2代目タイガーマスクとしても知られ、
華麗な空中殺法や投げ技の「エメラルドフロウジョン」は代名詞。
三沢光晴と幾度となく名勝負を演じた川田利明との「3冠ヘビー級選手権」では、
テレビ解説を務めていたジャイアント馬場が、熱過ぎるファイトに泣いてしまった逸話もある。
00年7月7日にプロレス団体のノアを旗揚げし、
社長業との二足のワラジをはく激務をこなしてきた。
得意技はエルボーパット。
回転式、マシンガン式、ダイビング式などバリエーション豊富。
高い身体能力を生かしたフライング・ラリアット、
エルボー・スイシーダの飛び技も破壊力十分だった。
投げ技の代表格はエメラルドフロウジョン。
相手をボディースラムの体勢で右肩に抱え上げ、脳天から突き落とす。
これを改良したのが、ブレーンバスターの体勢から抱え上げ、
同じ形で突き落とす変形エメ・フロ。
落差が増し、より破壊力が増す危険な決め技となった。
この他、タイガーマスク時代に編み出したタイガードライバーも有名。
(相手を空中で一回転させてから背中からマットにたたき付ける必殺技)
プロフィール
1962年6月18日 北海道・夕張市生まれ。
81年3月 全日本プロレスに入門。
8月21日 同期の越中詩郎戦でプロレスデビュー。
10月 シングル戦初勝利を果たす。
84年7月 遠征先のメキシコから極秘帰国後、2代目タイガーマスクに。
8月 ラ・フィエラとの一戦で“タイガーマスクデビュー戦”で見事勝利。
入場曲は「スパルタンX」。
85年8月 NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得。初のシングル王座に。
86年11月 世界最強タッグ決定リーグ戦にジャイアント馬場とのタッグで初出場。
88年5月10日 結婚。同時にタイガーマスクの正体を公表する。
89年3月 NWA世界ヘビー級王座戦で敗戦。左ひざのけがが深刻化し、
手術を受けるために長期欠場。
90年1月 リングへ復帰する。
5月14日 冬木弘道(故人)らとの試合で、執拗(しつよう)に
マスクをはぎ取られそうになり、自らマスクを取って突進。素顔に戻る。
92年8月 ハンセンとの3冠統一ヘビー級王座を奪取。第10代王座に就く。
99年5月 全日本プロレス社長に就任。
2000年6月 全日本プロレスに退団届を提出。
7月7日 新団体「株式会社プロレスリング・ノア」を登記。
8月5日 ディファ有明で旗揚げ戦開催。
01年4月 初代GHCヘビー級王者に。
07年12月10日 初のプロレス大賞・最優秀選手賞を受賞。
うそだろ!?
三沢が、死んだなんて・・・
マット上で大の字となった三沢がピクリとも動かない。
2300人、満員の観衆による「ミサワコール」にも
三沢は二度と立ち上がることはできなかった。
日本のプロレス界を代表するプロレスラー・三沢光晴が、
帰らぬ人となる痛ましいリング事故が起きました。
13日に広島で行われた「ノア」広島大会の試合中に頭部を強打し、
心肺停止に陥り市内病院の集中治療室に搬送されたが病院で亡くなったのです。
死因は不明。
6月18日、47歳の誕生日を目前にしての悲劇でした。
ジャイアント馬場が大腸がんに倒れ、アントニオ猪木が引退。
その後の日本マット界をけん引したエースが、衝撃の“殉職”となってしまった。
「プロレスの教科書」とも評されるほどレスリングの基本に忠実で
「受け身の天才」とも言われてきた。
死因は不明だが、
基本ともいわれるプロレス技で受け身に失敗したとも思えない。
「お客さんもザワザワするぐらい変だった。(最初から)三沢らしからぬ
精彩を欠いた動きだった」と関係者は試合時の様子を話している。
レスラー歴28年の三沢光晴はレスリングの名門足利工大付高出身で、
3年時に世界ジュニア選手権に出場、国体で優勝。
81年3月に故・ジャイアント馬場の全日本プロレスに入門し
同年8月21日にデビュー。
2代目タイガーマスクとしても知られ、
華麗な空中殺法や投げ技の「エメラルドフロウジョン」は代名詞。
三沢光晴と幾度となく名勝負を演じた川田利明との「3冠ヘビー級選手権」では、
テレビ解説を務めていたジャイアント馬場が、熱過ぎるファイトに泣いてしまった逸話もある。
00年7月7日にプロレス団体のノアを旗揚げし、
社長業との二足のワラジをはく激務をこなしてきた。
得意技はエルボーパット。
回転式、マシンガン式、ダイビング式などバリエーション豊富。
高い身体能力を生かしたフライング・ラリアット、
エルボー・スイシーダの飛び技も破壊力十分だった。
投げ技の代表格はエメラルドフロウジョン。
相手をボディースラムの体勢で右肩に抱え上げ、脳天から突き落とす。
これを改良したのが、ブレーンバスターの体勢から抱え上げ、
同じ形で突き落とす変形エメ・フロ。
落差が増し、より破壊力が増す危険な決め技となった。
この他、タイガーマスク時代に編み出したタイガードライバーも有名。
(相手を空中で一回転させてから背中からマットにたたき付ける必殺技)
プロフィール
1962年6月18日 北海道・夕張市生まれ。
81年3月 全日本プロレスに入門。
8月21日 同期の越中詩郎戦でプロレスデビュー。
10月 シングル戦初勝利を果たす。
84年7月 遠征先のメキシコから極秘帰国後、2代目タイガーマスクに。
8月 ラ・フィエラとの一戦で“タイガーマスクデビュー戦”で見事勝利。
入場曲は「スパルタンX」。
85年8月 NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得。初のシングル王座に。
86年11月 世界最強タッグ決定リーグ戦にジャイアント馬場とのタッグで初出場。
88年5月10日 結婚。同時にタイガーマスクの正体を公表する。
89年3月 NWA世界ヘビー級王座戦で敗戦。左ひざのけがが深刻化し、
手術を受けるために長期欠場。
90年1月 リングへ復帰する。
5月14日 冬木弘道(故人)らとの試合で、執拗(しつよう)に
マスクをはぎ取られそうになり、自らマスクを取って突進。素顔に戻る。
92年8月 ハンセンとの3冠統一ヘビー級王座を奪取。第10代王座に就く。
99年5月 全日本プロレス社長に就任。
2000年6月 全日本プロレスに退団届を提出。
7月7日 新団体「株式会社プロレスリング・ノア」を登記。
8月5日 ディファ有明で旗揚げ戦開催。
01年4月 初代GHCヘビー級王者に。
07年12月10日 初のプロレス大賞・最優秀選手賞を受賞。
2009年06月07日
喪失感
帰宅したゆうすけとタクマは、
家内からラッドが息を引き取った事を伝えられた。
二人は、共に絶句し、
うなだれて各自の部屋へと向かった。
その後ゆうすけは、
自分の部屋から出てこなかった。
タクマはすぐに部屋から出てきたが、
トイレに入り泣いていた。
葬儀会社の人がラッドを引き取りに来るまで、
一時間ほどの時間があった。
でも二人は現実を受け入れることが
なかなか出来ないようでした。
私たちが、ラッドとの最期の別れを促しても、
二人はラッドの許に来られないでいました。
結局二人が現れたのは、
葬儀会社の人が訪れてからでした。
痩せこけてしまい、
すっかり軽くなってしまったラッドを運ぶ。
「ラッド君、本当に死んじゃったの?
本当は、寝ているだけじゃないの?
もう一度、確認しようよ!」
それまで無言だったタクマが、
ラッドを車に積み込もうとした瞬間に口を開いた。
家内がタクマを諭しているのを、
肩越しに聞いているのが辛かった。
最期のお別れをし、
ラッドが運ばれていくのを全員で見送った。
心の中は、
喪失感で一杯だった。
きっと全員が同じ気持ちだったと思う。
覚悟はしていたはずなのに、
現実はやっぱり辛いものでした。
こうして、ラッドと過ごした14年11ヵ月は、
終わりました。
我が家の長男ラッドは、
天国に旅立ちました。
残された家族は、
まだまだ立ち直れてはいません。
ラッドが寝ていた玄関は、
当然のことながら全員が毎日何度も通る場所です。
その度にラッドの事を思い出してしまいます。
ラッドを失った喪失感は、
日増しに大きくなるばかりです。
家内からラッドが息を引き取った事を伝えられた。
二人は、共に絶句し、
うなだれて各自の部屋へと向かった。
その後ゆうすけは、
自分の部屋から出てこなかった。
タクマはすぐに部屋から出てきたが、
トイレに入り泣いていた。
葬儀会社の人がラッドを引き取りに来るまで、
一時間ほどの時間があった。
でも二人は現実を受け入れることが
なかなか出来ないようでした。
私たちが、ラッドとの最期の別れを促しても、
二人はラッドの許に来られないでいました。
結局二人が現れたのは、
葬儀会社の人が訪れてからでした。
痩せこけてしまい、
すっかり軽くなってしまったラッドを運ぶ。
「ラッド君、本当に死んじゃったの?
本当は、寝ているだけじゃないの?
もう一度、確認しようよ!」
それまで無言だったタクマが、
ラッドを車に積み込もうとした瞬間に口を開いた。
家内がタクマを諭しているのを、
肩越しに聞いているのが辛かった。
最期のお別れをし、
ラッドが運ばれていくのを全員で見送った。
心の中は、
喪失感で一杯だった。
きっと全員が同じ気持ちだったと思う。
覚悟はしていたはずなのに、
現実はやっぱり辛いものでした。
こうして、ラッドと過ごした14年11ヵ月は、
終わりました。
我が家の長男ラッドは、
天国に旅立ちました。
残された家族は、
まだまだ立ち直れてはいません。
ラッドが寝ていた玄関は、
当然のことながら全員が毎日何度も通る場所です。
その度にラッドの事を思い出してしまいます。
ラッドを失った喪失感は、
日増しに大きくなるばかりです。
2009年06月05日
疲れ満タン
今週は、久しぶりにハードな週です。
疲れが溜まっているのでしょう、
今朝は、なかなか起き上がることが出来なかった。
撮影は本日も続き、
来週も3日間予定されています。
合間にも様々なことが起き、
精神的にも余裕が無くなってきた。
救いは週末に休息できること。
タクマの運動会に出掛けて、
気分転換してこようと思います。
疲れが溜まっているのでしょう、
今朝は、なかなか起き上がることが出来なかった。
撮影は本日も続き、
来週も3日間予定されています。
合間にも様々なことが起き、
精神的にも余裕が無くなってきた。
救いは週末に休息できること。
タクマの運動会に出掛けて、
気分転換してこようと思います。
2009年05月30日
対面
帰宅し対面したラッドは、
すでに冷たくなっていた。
触れてみて、
その冷たさにドキッとする。
足も、口元も、頭も、
そして、シッポさえも氷のように冷たかった。
誰も死に目の瞬間には、
立ち会えなかった。
でも、その最期の瞬間、
ラッドは苦しかったのだろう。
カット見開いたままの眼と、
力のこもったままの歯茎がその事を物語っていた。
改めてラッドに詫びた。
そばにいてあげられなくて本当にゴメンね。
悲しみで胸の中は一杯なのに、
何故か涙は出なかった。
目の前に横たわる亡骸から魂は完全に抜け出し、
まるで剥製のように感じた。
私の知っているラッドは、
もう、そこにはいなかったのです。
帰宅の徒、車中で聞いたエレカシの「絆」
その歌詞を聴きながら、頬をつたったたくさんの涙。
あれだけ溢れ出たラッドへの思いと涙が、
再び流れ出すことはありませんでした。
感情を無理やり抑え込んだつもりはなかったが、
私たち夫婦は冷静に対応をした。
火葬業者へは、ゆうすけとタクマが帰宅するまで、
ラッドの引取りについて待ってもらった。
二人はまだ、
ラッドが亡くなった事を知らない。
生まれたときから当たり前のように傍にいたラッドが、
亡くなってしまった現実を、二人はまだ知らなかった。
すでに冷たくなっていた。
触れてみて、
その冷たさにドキッとする。
足も、口元も、頭も、
そして、シッポさえも氷のように冷たかった。
誰も死に目の瞬間には、
立ち会えなかった。
でも、その最期の瞬間、
ラッドは苦しかったのだろう。
カット見開いたままの眼と、
力のこもったままの歯茎がその事を物語っていた。
改めてラッドに詫びた。
そばにいてあげられなくて本当にゴメンね。
悲しみで胸の中は一杯なのに、
何故か涙は出なかった。
目の前に横たわる亡骸から魂は完全に抜け出し、
まるで剥製のように感じた。
私の知っているラッドは、
もう、そこにはいなかったのです。
帰宅の徒、車中で聞いたエレカシの「絆」
その歌詞を聴きながら、頬をつたったたくさんの涙。
あれだけ溢れ出たラッドへの思いと涙が、
再び流れ出すことはありませんでした。
感情を無理やり抑え込んだつもりはなかったが、
私たち夫婦は冷静に対応をした。
火葬業者へは、ゆうすけとタクマが帰宅するまで、
ラッドの引取りについて待ってもらった。
二人はまだ、
ラッドが亡くなった事を知らない。
生まれたときから当たり前のように傍にいたラッドが、
亡くなってしまった現実を、二人はまだ知らなかった。
2009年05月29日
永眠
この二週間ほど、
ラッドの衰えが顕著に見受けられた。
自力では起き上がることが出来ない。
中腰のまま吊り上げて、
おしっこに連れ出すのは腰に応えた。
ラッドが逝ってしまうのが先か・・・
私の腰が壊れてしまうのが先か・・・
我慢比べのようでした。
後ろ足はまったくといっていいほど
機能していませんでした。
何とかおしっこをするのですが、
この二、三日は、右足と左足がクロスしたままの状態だった。
食事も段々細くなり、
おとといの夜から何も食べなくなってしまった。
手のひらにドックフードを乗せて、
口元に運んであげると食べてくれたのに、昨日は口を開いてくれなかった。
結局、昨日は何も食べなかった。
水も飲まない。
おしっこに立たせても、
ほんの少しだけしかしない。
風雨にびしょ濡れになって、
ラッドに呼びかけてもすぐに倒れてしまった。
気になって、
夜中に2回起きてラッドを見た。
ラッドは痩せこけた身体をマットの上に伸ばし、
かすかな寝息を立てていた。
「ラッド、今朝もまったく食べなかったわ・・・」
起きてきた私に家内が言った。
「動物病院に連絡して往診にきてもらおうか?」
「来ても栄養剤を打つだけだろうし、
もう・・無理かもしれない・・・」
私は返す言葉が見つからなかった。
家内は、今日仕事を休んだ。
何かあれば連絡をくれる約束でした。
本当にとうとうこの日が来てしまったのか?
いや、もう一度元気を取り戻してくれるのではないだろうか・・・
祈る気持ちで仕事をしていた。
営業会議ということもあり、出社してから暫くの間、
ラッドの事は頭から離れていた。
そこへ家内からのメールが届きました。
ラッドが死んだ・・・
家内が郵便を投函しに近所のポストに行き、
帰宅するとラッドが呼吸をしていなかったそうだ。
ラッドの最期に、
家族の誰もが立ち会うことが出来ませんでした。
ラッドは、
ひとり寂しく天国に旅立っていった。
ごめんなさい、
ラッド。
ゴメン。
ラッドの衰えが顕著に見受けられた。
自力では起き上がることが出来ない。
中腰のまま吊り上げて、
おしっこに連れ出すのは腰に応えた。
ラッドが逝ってしまうのが先か・・・
私の腰が壊れてしまうのが先か・・・
我慢比べのようでした。
後ろ足はまったくといっていいほど
機能していませんでした。
何とかおしっこをするのですが、
この二、三日は、右足と左足がクロスしたままの状態だった。
食事も段々細くなり、
おとといの夜から何も食べなくなってしまった。
手のひらにドックフードを乗せて、
口元に運んであげると食べてくれたのに、昨日は口を開いてくれなかった。
結局、昨日は何も食べなかった。
水も飲まない。
おしっこに立たせても、
ほんの少しだけしかしない。
風雨にびしょ濡れになって、
ラッドに呼びかけてもすぐに倒れてしまった。
気になって、
夜中に2回起きてラッドを見た。
ラッドは痩せこけた身体をマットの上に伸ばし、
かすかな寝息を立てていた。
「ラッド、今朝もまったく食べなかったわ・・・」
起きてきた私に家内が言った。
「動物病院に連絡して往診にきてもらおうか?」
「来ても栄養剤を打つだけだろうし、
もう・・無理かもしれない・・・」
私は返す言葉が見つからなかった。
家内は、今日仕事を休んだ。
何かあれば連絡をくれる約束でした。
本当にとうとうこの日が来てしまったのか?
いや、もう一度元気を取り戻してくれるのではないだろうか・・・
祈る気持ちで仕事をしていた。
営業会議ということもあり、出社してから暫くの間、
ラッドの事は頭から離れていた。
そこへ家内からのメールが届きました。
ラッドが死んだ・・・
家内が郵便を投函しに近所のポストに行き、
帰宅するとラッドが呼吸をしていなかったそうだ。
ラッドの最期に、
家族の誰もが立ち会うことが出来ませんでした。
ラッドは、
ひとり寂しく天国に旅立っていった。
ごめんなさい、
ラッド。
ゴメン。
2009年05月25日
ひとり留守番
週末、子供たちといっしょに
風呂に入っている時のことでした。
「オレ、騎馬戦で上じゃないんだよね・・・」
タクマが悔しそうに言った。
「なんで!?お前より小さい奴が上に乗るのか?」
私が聞いた。
「違う大きな奴」
「なんで?」
「『上になりたい人!?』って聞いたら、
内のチーム4人とも手を上げて、オレじゃんけんで負けたんだよ・・・」
よほど悔しかったのか、
タクマは何度もクソ〜!と繰り返した。
「そっか・・、
ゆうすけは、運動会何に出るんだ?」
「・・・・・」
ぼそぼそと何かを喋るゆうすけ。
「30日だったっけ?
タクマは、6日だっけ?」
「く・・・」
またもや、ぼそぼそとゆうすけが何かを喋った。
「あのね、ゆうすけがね、『来るな』って!」
タクマが通訳(?)した。
「来なくていいから・・・」
今度は聞き取れる声でゆうすけが言った。
「なんでよ!?」
半分予想はしていたが、面と向かって改めて言われるのは辛い。
「いいから、絶対に来なくていいから、
来ちゃダメだから・・」
「オイラ、行こうっと!」
悲しいかな、
ゆうすけに「来るな!」と断言されてしまいました。
タクマにも、運動会の撮影(ビデオもスチールも)を、
「絶対に無理!要らないから」と拒否られた。
30日と6日、家内は3人分のお弁当を作り、
運動会観戦に出掛けます。
私は、ひとり寂しく留守番です。
日本ダービーと安田記念の予想でもしてようかな・・・
風呂に入っている時のことでした。
「オレ、騎馬戦で上じゃないんだよね・・・」
タクマが悔しそうに言った。
「なんで!?お前より小さい奴が上に乗るのか?」
私が聞いた。
「違う大きな奴」
「なんで?」
「『上になりたい人!?』って聞いたら、
内のチーム4人とも手を上げて、オレじゃんけんで負けたんだよ・・・」
よほど悔しかったのか、
タクマは何度もクソ〜!と繰り返した。
「そっか・・、
ゆうすけは、運動会何に出るんだ?」
「・・・・・」
ぼそぼそと何かを喋るゆうすけ。
「30日だったっけ?
タクマは、6日だっけ?」
「く・・・」
またもや、ぼそぼそとゆうすけが何かを喋った。
「あのね、ゆうすけがね、『来るな』って!」
タクマが通訳(?)した。
「来なくていいから・・・」
今度は聞き取れる声でゆうすけが言った。
「なんでよ!?」
半分予想はしていたが、面と向かって改めて言われるのは辛い。
「いいから、絶対に来なくていいから、
来ちゃダメだから・・」
「オイラ、行こうっと!」
悲しいかな、
ゆうすけに「来るな!」と断言されてしまいました。
タクマにも、運動会の撮影(ビデオもスチールも)を、
「絶対に無理!要らないから」と拒否られた。
30日と6日、家内は3人分のお弁当を作り、
運動会観戦に出掛けます。
私は、ひとり寂しく留守番です。
日本ダービーと安田記念の予想でもしてようかな・・・
